解説

乳酸は疲労物質なのか:ランニング中の生成と再利用の科学

ランニング中に増える乳酸は疲労物質なのか。生成、NAD+再生、組織間輸送、エネルギーとしての再利用、血中乳酸値の読み方を研究資料から解説します。

ランニング中の乳酸生成と再利用をイメージしたランナー
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目次
  1. はじめに
  2. 乳酸は疲労物質なのか
  3. ランニング中に乳酸ができる流れ
  4. 乳酸はどこで再利用されるか
  5. 乳酸が高いとき本当に脚を止めるもの
  6. 乳酸値をトレーニングでどう読むか
  7. 翌日の筋肉痛と回復を切り分ける
  8. 覚えておく3つの判断基準
  9. 出典

ランニングで増える乳酸は、疲労を単独で起こす「疲労物質」ではありません。糖質からATPを作る解糖の途中で生まれ、血流を通じて筋肉や脳へ運ばれ、再びエネルギーとして利用されます。血中濃度の上昇は運動強度と産生・除去のバランスを映す指標であり、脚が止まる原因そのものと同一視しないことが大切です。

はじめに

乳酸を「走った後も筋肉に残る毒」のように捉えると、ランニング中の現象を読み違えます。ランニングの代謝を俯瞰するには、乳酸が作られる場面だけでなく、運ばれて使われる場面まで見る必要があります。基礎となるランニング科学の全体像と合わせると、VO2maxや走行効率とは別の角度から、ペースを維持できる理由が見えてきます。

この記事では、乳酸の生成、再利用、疲労との関係、血中乳酸値の読み方を分けます。「乳酸は悪くない」という新しい標語へ置き換えるだけではなく、どこまで分かっていて、どこからは別の疲労要因を考えるべきかを整理します。

乳酸は疲労物質なのか

乳酸は疲労の単独原因ではなく、解糖系と有酸素系をつなぐ代謝物です。米国国立医学図書館が公開する2024年の総説は、乳酸を有酸素条件でも継続的に作られる代謝物として扱い、運動中には筋機能を支える適応反応の一部と位置づけています。

誤解の起点は古く、乳酸の発見は1780年のCarl Wilhelm Scheeleまでさかのぼります。その後、約100年前にアーチボルド・ヴィヴィアン・ヒルらの研究を背景として、「強い運動で乳酸が増える」「同時に筋力が落ちる」という二つの観察が、原因と結果として結び付けられました。ところが、同時に起こることは、乳酸が疲労を直接起こした証明ではありません。

立命館大学スポーツ健康科学部の橋本健志教授へのインタビューは、「乳酸は、強い運動をした時に筋肉から血中に放出される物質です。」と説明しています。同じ解説では、乳酸が運動中の筋肉と脳のエネルギー源になり得る点も示されています。つまり乳酸は、疲れた場面で見つかる物質ではあっても、単なる燃えかすではありません。

ただし、「乳酸は疲労物質ではない」からといって、乳酸値が無意味になるわけでもありません。値は強度の変化と連動しやすく、代謝の状態を観察する窓として役立ちます。原因と指標を分けることが、最初の判断です。

ランニング中に乳酸ができる流れ

ランニングでは、グルコースを分解してATPを得る解糖が、走行速度の上昇とともに重要になります。糖質由来のグルコースはピルビン酸まで分解され、乳酸脱水素酵素の反応で乳酸へ変換されます。この変換はNAD+を再生し、解糖を続けるための条件を整えます。乳酸生成はエネルギー供給を止める反応ではなく、速いATP供給を支える反応でもあります。

運動強度が低いときも乳酸は作られています。速度を上げて速筋線維の糖質利用が増えると産生量が増え、利用側の組織が処理できる量との差が広がりやすくなります。その差し引きが血中乳酸濃度に表れます。2024年の総説が示す生理的な血清乳酸濃度は1〜2 mMですが、運動中の値は産生だけでなく、血流への放出、組織への取り込み、酸化、糖新生のすべてに左右されます。

KAKEN課題24K14496は、2024-04-01から2027-03-31までの研究として登録され、「筋収縮時に生成される乳酸は、酸化基質として利用されるだけでなく,筋疲労を軽減する作用がある.」という仮説を検討しています。研究計画ではMCT1阻害剤を使い、細胞内への乳酸取り込みを妨げた条件と通常条件を比べます。ここでも焦点は「乳酸があるか」ではなく、「どこへ取り込まれ、筋機能にどう作用するか」です。

血中濃度が高いとき、作られた量だけを見て「たまった」と表現するのは不十分です。排水口のない容器に廃棄物が蓄積するイメージではなく、産生と利用が同時進行する交通量として捉える方が実態に近くなります。

乳酸はどこで再利用されるか

有酸素運動では、乳酸は産生された筋線維から別の筋線維や臓器へ移り、酸化や糖新生に使われます。この細胞・組織・臓器をまたぐ考え方が乳酸シャトルです。乳酸シャトルという枠組みが導入されたのは1980年代で、乳酸を局所の老廃物ではなく、全身の代謝を結ぶ運搬可能な基質として捉える転換点になりました。

遅筋線維や心臓では乳酸がピルビン酸へ戻され、ミトコンドリア側の代謝へ入ります。脳でもエネルギー基質になり得ます。一部は肝臓などでグルコースへ戻され、再び全身で利用されます。この循環があるため、乳酸が血中へ出た時点で処理が終わったのではなく、別の場所で次の用途が始まります。

flowchart LR
  A[グルコース] --> B[解糖とATP供給]
  B --> C[ピルビン酸]
  C --> D[乳酸とNAD+再生]
  D --> E[活動筋・心臓で酸化]
  D --> F[脳でエネルギー利用]
  D --> G[肝臓などで糖新生]

乳酸は生成場所に留まらず、酸化や糖新生へ回る代謝ネットワークの中を移動します。

この流れは、長くゆっくり走れば乳酸が一切出ないという意味ではありません。脂肪酸化の比重が高い強度でも糖質代謝は動いており、乳酸は継続して作られます。継続的な運動で酸化能力が変わる代謝適応も、同じ速度での産生・利用バランスを変えます。ロング走では産生量の急増より、燃料の残量や組織の反復負荷が失速に関わりやすくなります。乳酸の量だけで長時間走の限界を説明できない理由です。

乳酸が高いとき本当に脚を止めるもの

グリコーゲンの減少と神経筋疲労は、乳酸とは別に走力を下げる要因です。Sports誌の筋疲労レビューは、疲労の仕組みが運動の強度と持続時間に依存し、基質枯渇、アシドーシス、ATPaseや解糖の阻害など複数の経路を含むと整理しています。5km走の終盤とマラソン後半の失速を同じ原因へ還元できません。

長時間走では脱水体温調節の負担も出力へ影響します。さらに、脳を含む中枢が運動継続を調整する中枢調節モデルは、末梢の代謝物だけでは説明できない疲労の見方を補います。乳酸だけへ原因を集約すると、こうした別経路を見落とします。

場面時間軸主に確認する要因乳酸の位置づけ
短い高強度走の脚の焼け運動中〜直後急速なATP需要、pH変化、神経筋の出力低下高強度代謝と同時に増える指標
テンポ走でペース維持が難しい数十分産生と除去の差、呼吸・循環、ペース設定持続可能な強度を読む材料
ロング走後半の失速長時間グリコーゲン、筋損傷、脱水、神経筋疲労単独原因としては説明不足
翌日の筋肉痛数時間〜翌日以降筋への機械的負荷と回復過程残留した疲労物質とは扱わない

筋疲労は、必要な力やパワーを維持できなくなる状態として観察されます。レビューでは、低強度で長い運動と高強度で短い運動で、制限因子が変わる点が強調されています。ランニングエコノミーが同じでも、燃料、筋線維、神経系、体温などの条件が変われば、同じペースを維持できる時間は変わります。

新潟医療福祉大学は、「末梢血乳酸は疲労物質ではありませんが、代謝性アシドーシスなど筋疲労の要因と同様の変化を見せる」と説明しています。乳酸は犯人というより、現場の状況と一緒に動く観測値です。この区別を外すと、乳酸を下げることと、走力を完全に回復させることを同義にしてしまいます。

乳酸値をトレーニングでどう読むか

乳酸性作業閾値は、乳酸が疲労物質だと示す境界ではなく、強度上昇に対して血中乳酸が持続的に増え始める領域を表す概念です。最大乳酸定常状態も、一定の負荷で産生と除去がどこまで釣り合うかを見る考え方です。いずれも「この濃度で筋肉が止まる」という単純な毒性ラインではありません。

閾値走は、この持続可能な高強度領域を練習へ落とし込む方法です。ペース走ペーシングは、ハーフマラソンに効く閾値走10kmのペース走のように、レース距離で変わります。速く走ることだけを目的にせず、設定ペースを保てるか、後半に失速しないかを確認します。

アメリカスポーツ医学会が扱う運動強度評価と同様に、測定値は単独で断定に使いません。自覚的運動強度心拍数を組み合わせ、区間ペースや呼吸の変化も並べます。心拍ゾーンは整理に役立ちますが、長く走る間に心拍が上がる心拍ドリフトもあるため、固定した境界としては扱いません。最大酸素摂取量が高くても、心肺体力、乳酸の産生と除去のバランス、走行効率が異なれば、同じ速度での余裕は変わります。

血中乳酸を実際に測る場合は、採血のタイミング、段階ごとの走行時間、速度の上げ方をそろえる必要があります。手順と利用場面は血中乳酸値測定とトレーニング活用で確認できます。家庭で数値を取らない場合でも、インターバルトレーニング高強度インターバルトレーニングの記録を、心拍と主観強度とともに残せば、ペース設定の再現性を高められます。

ただし、乳酸値を下げること自体を毎回の目標にする必要はありません。高強度刺激では乳酸が増えることも適応の一部です。トレーニング負荷を評価するときは、同じセッションをどの程度の余裕で終え、次の練習までに出力が戻ったかまで見ます。

翌日の筋肉痛と回復を切り分ける

遅発性筋肉痛は、運動から時間をおいて現れる痛みであり、乳酸が翌日まで筋肉に残って起こる現象ではありません。筋肉痛という言葉と、運動直後の焼ける感覚、全身の疲労感を一括りにすると、回復策の目的も曖昧になります。

新潟医療福祉大学の研究では、健康な成人18名が疲労困憊に至る漸増負荷運動を行い、その後に4分間のフォームローリングを実施しました。安静条件より血中乳酸が有意に低下し、低下が大きい人ほど認知課題の反応時間短縮とも関連しました。ただし研究自体が乳酸を筋疲労の「間接指標」としています。乳酸低下だけを、筋損傷や全身回復が完了した証明にはできません。

運動後の回復では、まず時間軸を分けます。直後の呼吸や血中代謝物、数時間後の出力、翌日の痛みは同じ指標ではありません。軽い運動を使うアクティブリカバリーも、血流や主観的な整えやすさという目的と、組織修復という目的を区別して選びます。

覚えておく3つの判断基準

乳酸について判断に迷ったら、原因、指標、時間軸の三つに戻ります。乳酸は疲労の単独原因ではありませんが、強度と代謝状態を読む指標としては価値があります。

  1. 原因と決めつけない:乳酸は解糖を支え、別の組織で再利用されます。
  2. 指標として読む:血中値は産生と除去の差し引きなので、ペース、心拍、自覚的強度と組み合わせます。
  3. 時間軸を分ける:運動中の脚の焼け、長時間走の失速、翌日の筋肉痛を同じ「乳酸疲労」にまとめません。

この三つを使えば、「乳酸を出さない走り」を目指すのではなく、どの強度で何が起き、どの回復指標を見るべきかを選べます。

出典